みなさんこんにちは!フランス音楽留学アドバイザーの袴田美帆です。
今回インタビューさせていただいたのは、ソロのみならず、数多くの奏者との共演など、国際的に活動されているピアニスト・長崎麻里香さん。
長崎さんは、中学卒業後に単身留学され、パリ・エコール・ノルマル音楽院とパリ国立高等音楽院2つの学校で学ばれました。
フランス留学の経験が、現在の演奏活動につながっているという長崎さんが、帰国後も大切にしてきたこととは?
留学時代の貴重な出会いについても、詳しくお話ししていただきました。
長崎 麻里香 Marika Nagasaki
15歳で渡仏し、パリ・エコール・ノルマル音楽院にてピアノ科コンサーティスト及び室内楽科高等演奏家ディプロマ取得。パリ国立高等音楽院ピアノ科を満場一致の最優秀の成績で卒業。F.プーランク国際ピアノコンクールにてプーランク作品優秀賞。フランス、サン・ノム・ラ・ブルテッシュ国際ピアノコンクールにて最年少優秀賞を受賞。パリ、サル・コルトーでのソロリサイタル、A.コルトー記念演奏会、その他欧米各地での演奏会に出演。ソロのみならず、室内楽奏者としても多数のコンサートも多く、工藤重典、A.アドリアン、K-H.シュッツ、S.カレッドゥ等名手との共演や録音を重ね、共演者からも厚い信頼を得ている。
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留学のきっかけ
袴田:まず留学に行かれたタイミングと、行こうと思ったきっかけについてお伺いしてもいいですか?
長崎:はい。留学の話が出たのは中学3年生のときでした。
6年生ときからお世話になっていた藤井一興先生が、パリ国立高等音楽院(=以下CNSM)の作曲科出身で、オリヴィエ・メシアンのクラスにいらっしゃり、10年以上フランスに留学されていたんです。
先生のレッスンは突然フランス語になったり、フランスのエッセンスたっぷりのレッスンでしたので、フランスには親しみがありました。
そんな先生のところに、中3のとき、先生のフランスでのご友人ファビエンヌ・ジャッキーノ先生という女性ピアニストの方が日本にいらっしゃって、私もレッスンを受けたんです。
そのレッスンで、「私はパリ・エコール・ノルマル音楽院(=以下エコール・ノルマル)で教えてるわよ。あなたがもし興味があるようだったら、いつでも来てね」と言っていただいたのが、最初のきっかけです。
私は当時、反抗期で気が強かったのだと思いますが(笑)、ピアノをやっていて色々思うこともあって・・・
練習はするけど、させられている感じもしたし、中学3年生だから高校受験の時期でもあって、進路をどうしようか不安やプレッシャーもある中で、ファビエンヌ先生からのお言葉をいただいて、「もし私も留学できたら素敵だな」って思ったんです。
それを、親や藤井先生にも相談すると「行ってみて大変だったり、難しかったりしたら、日本に帰ってきてもう一度勉強したらいい。とにかく今はやってみよう!」という話になり、本格的に準備を始めて、中学卒業後の9月からエコール・ノルマルに留学しました。
若干15歳での単身留学!
袴田:15歳で、渡仏されたんですね!
ご家族も一緒に行かれましたか?
長崎:いえ、1人で行ったんです。
袴田:そうなんですね!それは不安も尽きなかったでしょうね。
当時はどんなところにお住まいだったのですか?
長崎:まず、知り合いの方が、持ってらしたアパートに住まわせてもらいました。
そもそも、18歳未満(未成年)で留学するっていうことはまず滞在許可書を取るのにも、1人では取れなくて、家族の付き添いがない場合は、まず身元引受人っていう方が必要なんですね。
だから日本のフランス大使館で、現地の身元引受人の方のいろんな証明書を提出しなければいけませんでした。
身元引受人の方がフランスでいろんな証明書を発行して、日本に郵送していただいて、その他住居証明や日本のいろんな書類と一緒に在日フランス大使館に申請して、許可が下りたらやっと行けるという、長い道のりでした。
だから18歳未満の方が留学する場合には、今も何かしら特別な手続きが必要だと思います。
袴田:そうですよね。未成年で留学された貴重な情報、ありがとうございます!
長崎:私が留学した時とはシステムが変わっていると思うので、検討されている方は大使館やサイト等で調べてみてくださいね!
その時代はまだフランス・フランで、インターネットも携帯もなく、連絡手段は電話かFAXや手紙だったので、誰かを紹介していただくのにも一苦労でした。
現地に短期で行って調べる、っていうのもなかなか難しかったし、とにかく一つ一つの手続きに時間がかかりましたね。
袴田:それをもう15歳とかで、経験されたんですもんね。
長崎:そう。でも初めは親や知り合いの方が、全面的に動いてくださっての留学でしたので、私が知り得ない苦労が多かったと思います。
留学先の2つの音楽院について
袴田:長崎さんは、まずエコール・ノルマルに留学されたとのことですが、そちらでは何年勉強されたんですか?
長崎:エコール・ノルマルでは4年間、ピアノ科はコンセルティスト課程と研究課程、室内楽科は高等演奏家ディプロマを修得しました。
袴田:長崎さんは、そこからパリ国立高等音学院に進まれてるということで、受験のタイミングや、受けるきっかけとかをお伺いしてもいいですか。
長崎:はい。
エコール・ノルマルのコンセルティスト課程が終わったのが18歳で、今後どうするか悩んでいときに、これからは国際コンクールをどんどん受けて、どんどん演奏経験を積んで、ピアニストとしてのキャリアを歩んでいくことを、先生からは提案されていたんです。
だけど私の気持ちとしては、心身共に未熟だったし、ピアノを弾くこと以外の音楽の勉強がまだまだ足りないなという気持ちがすごくあったので、レッスン以外でも授業を受けて勉強したいなと思っていました。
フランスでは幼い頃から個人主義で、自分はどう思うのか、自分は何をしたいのかを重視された教育を、みんな受けてきたと思うんですね。
そんな周りのフランス人たちを見て、さあ自分はどうなのかと考えたときに、まだ自信・確信を持って表現できるとは言えないなと感じたんです。
だから、やっぱり演奏だけじゃない音楽の勉強を続けたい、と先生に相談したら、まだCNSMも受けられる年齢でもあったので、その年に受験することにしました。
袴田:18歳でそこまで考えられるなんて、尊敬します!
2つの学校の雰囲気の違いなどは感じられましたか?
長崎:はい、とても強く感じました。
エコール・ノルマルは、建物も、いらっしゃる先生方も、本当に良き時代のフランスを感じさせてもらえる学校です。
それぞれのレッスン室の名前もそうだし、私がレッスンを受けてた部屋はアルフレッド・コルトーの書斎だったんです。
私は1年目、家にピアノがなかったので、室内楽の先生に練習場所の相談をすると「ピアノがないんだったら、知り合いの家で練習させてもらえると思うから、行ったらいいわよ」って言ってくださったお家が、イベールのお孫さんのお家だったんです。
あと、ヴァイオリンのドゥヴィ・エルリ先生にもお世話になったのですが、先生の奥さんがジョリべの娘さんでしたのでご自宅にレッスンに行くと、ジョリべが弾いてたピアノで弾けるんですよ。
そういう感じで、周りが自分が知っている名前で溢れていて、とても貴重な経験でしたね。
その時代の音楽の本場で勉強したっていう経験や、今も続く偉大な音楽家たちの繋がりを、実際に目で見て体感することができる、エコール・ノルマルではそんな歴史を感じました。
袴田:さすが、やっぱりそれはエコール・ノルマルにしかない伝統ですよね。
長崎:それに対してCNSMは、伝統を守りつつ新しいものを生み出し続ける、「今」を感じることのできる場所ですね。
音楽院の建築も、古き良きフランスの建物とは違う、近代的な雰囲気ですよね。
たくさんのガードマンに囲まれてブーレーズが歩いてきたときは、その場の空気が変わったようで衝撃を受けました。
先生方も現役で活躍している方達ばかりだし、生徒達も向上心に溢れていて、たくさんの良い刺激を受ける事のできる環境でした。
ちょっと治安が悪くて怖かったですが・・・
袴田:今も治安は良くないですが、昔はさらに悪かったと聞いています。
長崎:そう、すごく怖かったですよ。在学中の生徒が怪我を負わされるような事件もありました…。
袴田:やっぱり、フィルハーモニーができたりして、駅周辺の雰囲気が変わっていったんですかね。
長崎:そうなんですね。私がいた頃、パリ管弦楽団の本拠地はまだサル・プレイエルの時代でしたからね。
23歳で日本に完全帰国!帰国後の活動と、留学時代から大切にしていることとは?
袴田:長崎さんは、合計で何年フランスにいらっしゃいましたか?
長崎:7年です。
袴田:留学を終えて日本に帰ってからは、どのように過ごされていましたか?
長崎:まず、私は留学中にフルートの方と共演することがすごく多かったんです。
エコール・ノルマル時代に、室内楽で1人のフルートの子と一緒にやったら、その子のレッスンにもついていくようになって、他の子の伴奏もお願いされることも増えていって、気づけばたくさんのフルーティストと出会えて、フルートのレパートリーも増えていきました。
コンクールの伴奏やコンサートの共演など、フランスにいる時からの繋がりが、日本に帰国してからもずっと続いていますね。
あとは帰国してから、CNSMの大先輩でもある声楽家の先生と出会い、フランス歌曲やフランスオペラを専門に、勉強兼お仕事のような形でお世話になっています。
そんな風に、留学から帰ってきてからも、フランスで出会った人たちとの繋がりを大事にしていたら、何とか今まで演奏の機会をいただけているという感じですね。
袴田:素晴らしいです!
フランスで学んだことを、日本でも新しい人たちと一緒に発展させていけるのが、すごく素敵だなと思いました。
長崎:本当に有難いことです。
15歳でフランスに行って、帰ってきたのもまだ23歳だったので、日本人としての未熟さには凄く悩みましたが、日本に逆留学!と思って帰ってきました。
フランスで外国人として生きてきた経験だったり、多くの文化や宗教が共存している国で感じたことがあるからこそ、日本に帰って学べたことも多かったです。
でもやっぱり、私が学ばせてもらった大切なものっていうのがフランスにあるので、自分が学んだことを大事にできる、音楽のお付き合いをなるべく続けていけるようにしています。
袴田:なんと素敵なお言葉。私も今、それがしたいなと痛感しているところだったので、そのお言葉が聞けて嬉しいです。
長崎さんみたいに、丁寧なお付き合いを大切にできるよう、これからも頑張ろうと思います。
長崎:そうですよね。例えば、思い描いていたような、大きくて華々しいお仕事とかじゃなかったとしても、地道に自分が勉強を続けさせてもらえる環境は、大切にしていきたいですよね。
留学したい方へのメッセージ
袴田:最後にこれから留学したい人に向けて、メッセージをお願いできますか。
長崎:はい。Music Discobveryの過去のインタビューの記事も読ませていただいたのですが、ピアニストの方たちが感じられることって、やっぱり今も昔も変わっていないなって感じましたね。
華々しいソリストになる事だけが留学ではないと思うんです。
誰かと共演すると、つい伴奏者扱いになってしまうことも多いかもしれませんが、私はフランスで ”伴奏ではなくアンサンブル” というのを、最初にすごく意識させられました。
それを意識して勉強・演奏していくうちに、誰かとアンサンブルをするのが大好きになっていったんです。
袴田:長崎さんがアンサンブルを楽しまれている様子は、演奏からすごく伝わってきました!
そして、インタビュー記事も読んでくださりありがとうございます。
記事の中でも、伴奏科で学ばれた方たちのお話はすごく人気で、同じようにピアニストとしての可能性を探されている方がたくさんいらっしゃるんですよね。
長崎:勿論、自分自身がピアノソロを勉強し続ける事はとても大事だと思います。
そこから、室内楽や伴奏、オペラのコレペティやバレエ伴奏っていう風に、ピアノという楽器を使って、音楽がいろんな形で表現していけることを伝えたいですね。
その環境や可能性や出会いがたくさんある国だと思うので、是非いろんな事に挑戦して、そこから、自分が生涯かけて大事にしたいものを見つけてください。
あとは日々美術館に行ったり、たくさんのコンサートに行ったりもできると思うので、いろんなものに触れて、それを大事に自分の感覚と向き合って欲しいなと思います。
色んな苦労や葛藤もあると思うけど、しっかり悩んで、負けないで。
自分が何かを大事にしていたら、周りの人も、いつもではないかもしれないけど見ててくれたんだ!って思う瞬間ってやっぱりあるので。
袴田:そうですよね。留学中、私も何度も「あの時頑張ってよかった!」と思えるような人との繋がりがあって、嬉しかった思い出がたくさんあります。
長崎:留学をしても、その後日本に帰国してからも、音楽を通してきっとたくさんの素敵な出会いがあると思いますよ。
皆さんのことを、応援しています!
袴田:貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございます。
若くして留学された経験だけではなく、人との繋がりや、自分が大事にしたい音楽、帰国してからの活動など、私も勉強になることがたくさんありました。
また長崎さんの、素敵な演奏が聴けるのを楽しみにしています!