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フランスの映画音楽作曲科だからこそ実現した学びと成長-作曲家・大森愛弓インタビュー #01

皆さんこんにちは、Music Discoveryアドバイザーの吉田佐和子です。

音楽大学を卒業した後、社会人経験を経て留学をする人も沢山いることはご存知ですか?

今回は27歳で留学を決断し、フランス・パリの音楽院で2年間映画音楽の作曲と指揮を学ばれた、大森愛弓さんに留学に関するお話を伺いました。

大森 愛弓 Ayumi Omori
2019年ドヴォルザーク国際作曲コンクール大賞3位およびオーケストラ曲が部門最優秀賞(チェコ)、2020年ヴァロンス国際映画音楽作曲賞ファイナリスト(フランス/コロナ禍で決勝中止)等をはじめ国内外で受賞。
大阪教育大学、同大学院作曲専攻修了。専門学校の音楽講師を経て2年間フランス留学し、パリ・エコールノルマル音楽院映画音楽作曲科を審査員満場一致の賞賛付き首席、および飛び級で最短卒業。同音楽院の研究科、パリ市立ショパン音楽院指揮科1年修了。
現在は日本で学んだクラシック音楽とフランスで身に付けた劇伴の技術を生かし、(株)パソナでミュージカルや舞台、淡路島のテーマパーク等の作曲・編曲や音楽演出を担当。
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目次

留学のきっかけ

吉田:まず留学のきっかけを教えていただけますか?

大森:ヨーロッパには憧れがあって、留学してみたいっていう気持ちはあったんです。でも、大学の時はすぐに海外に行くお金もなくて。卒業後は安定する教師の職を得て、専門学校で常勤で働いていました。それで軌道にのって、担任をもったり、ゼミを持ったり、レッスンしたり、凄くめまぐるしくて。

音楽科だけど、学生の就職支援とか、そういうこともお仕事だったので、それをしながら自分の研究をしていると、アウトプットばかりでインプットができなかったんです。

それが自分にはしんどい部分があって、3年ほど働いたときにちょうどお金が溜まって。
27歳の時に、今後のキャリアをどうするかちょうど考えていて音楽家の上司に相談したら「やっぱり音楽家としては海外経験が絶対大事だよ!」と言ってくれて。

気持ちと資金と、応援してくれる人が揃い、ここで行ってみようと思いました。

留学を決めてからの準備、学校選びについて

パリオペラ座にて。オペラ、バレエも沢山観に行きました

吉田:留学を決めてから、準備にはどのくらいかかりましたか?

大森:1年ぐらいですね。フランスは留学生の受け入れ体制が整っているので、留学の準備はしやすかったです。

あと、語学は留学に行く1年ぐらい前から働きながら、語学学校の個人レッスンに週1ぐらいで通いだして、通勤時間にも勉強をしていました。

吉田:留学先にエコールノルマルを選んだきっかけは何ですか?

大森:私は日本で大学院までクラシックの作曲専攻だったのですが、その中で私の作風は劇伴寄りでちょっと異端というか。でも、作曲家を志したのは子どものころに見た映画からだったので、総合芸術への道を探していました。

映画の国フランスではそういうものを専門的に学べるのではと調べたときに、エコールノルマルの映画音楽作曲科(Composition de musique de films)の情報が出てきたんです。当時はコネクションもゼロだったし、そこは日本から受けられたので、受験を決めました。

クラシックの作曲とは違う?映画音楽作曲科とは

吉田:試験内容はどんな感じだったんですか?

大森:映画音楽科は2年コースなんですけど、まずそこは作曲を既に勉強している前提の学科で。

更にもし映像に合わせた作曲をやったことがあるなら、それを試験で出してプレゼンしなさい、という比較的オープンな課題でした。 

その課題が出来れば映画音楽作曲科1年目に入学できる、という感じだったのですが、私の場合は、日本で作曲の大学院も出てましたし、出した課題がオーケストラの曲だったからか、1年目を飛ばして2年目に入学することになったんです。

入った時すでにオーケストレーションや作曲歴が長かったから2年に編入できたものの、映像と合わせて作曲する技術は今までの技術とは全然違ったので、学びとしてもすごく良かったです!

留学準備で困ったことや、あったら良かったと思うサービスについて

吉田:留学するときに大変だったことや、あったらよかったサポートはありますか?

大森:私の場合、入試は日本で仲介会社を通して受け口頭試験に通訳の方がいたのでトラブルもなく、ビザ申請に必要な音楽院の合格証明書もそこが本国とやり取りして取り寄せてくれてかなり助かりましたね。

あとは、留学前に見えていた選択肢の少なさには、今になってすごく実感しています。当時は、今やってることが、これ合ってるのかな?とか、これをやった後はどうなっていくんだろう?と、いろいろ手探りで進めていって不安に感じることも多くて。自分の時間と予算に合わせて、留学までのいくつかの道筋が見えていたら嬉しかったなと思います。

音楽院に直談判!ダブルスクールで指揮科にも在籍

エコールノルマル前にて。クラスメイトと先生と

吉田:留学中の2年間は、ずっとエコールノルマルに在籍されていましたか?

大森:エコールノルマルには2年間、そして2年目はパリ15区のショパン音楽院の指揮科にも在籍していました。

先ほどお話ししたように、エコールノルマルの映画音楽科は2年目に入学して、1年で授業を全て取り終えてしまって。そしたらちょうど、卒業した学生があと1年学べる研究科が新設されることになったので、そこに登録することにしました。ですが、授業数が少なかったので、残りの時間で何が学べるかを考えたときに、日本の大学の副科でやっていた指揮を、フランスでもちゃんと学びたいなと思ったんです。

それで、パリ市立で15区の音楽院の先生が評判がいいと聞いて。ですが、それを調べたのが遅くて、正規で公立音楽院に入学するには、締め切り日が過ぎていて。ちょっと無理かなと思ったのですが、とにかく問い合わせだけしに行ってみようと思い、直接学校まで情報を聞きに行きました。そしたら、「次いついつに、その先生の授業があるから、先生に直談判してみなよ!」と言ってもらえたんです。

 それで後日、その先生の授業に行って「ここで学びたいんですけど、試験には間に合わなくて、どうしたらいいですか?」とお話ししたら「わかった!」とその場で試験用の課題を渡され…(!)とりあえずその課題を提出したら、クラスに受け入れてもらえることになって。学校的には聴講生という扱いだったのですが、正規の学費を払って、週3日全ての授業が受講できました。

吉田:そんなことがあるんですね!その課題っていうのはどういう感じだったんですか?

大森:作曲の知識で解ける内容で、オーケストラの各楽器の音域を答えたり、あとはピアノ譜からオーケストラにする管弦楽法の課題や、移調楽器同士を読みかえる課題もありました。

吉田:なるほど。フランスでダブルスクールができることも、最初は知らない人が多いですよね。

大森:そうですね。1年目からだとハードルが高いと思いますし、留学2年目だった私でも、周りの日本人には驚かれることが多かったです。

留学生活を振り返って、学んで良かったこと

エンジニアと映画に合わせて録音をMIXする作業 inスタジオ

吉田:そんな留学生活の中で、特に学んでよかったことはありますか?

大森:映画音楽では、フィルムスコアリングっていう、映像の動きやセリフの良さを引き立てる音楽の作り方だったり、登場人物はこうやって喋ってるけど心の内にはこういうことを感じている、明るいことを言ってるのに切なく見えるなど、監督の意図を汲み取って音で表現したり支える方法を学びました。

純粋な音楽作品ではすべてが音楽で語られるけど、映像も合わせてはじめて作品が完成するよう計算する感じ。そういう音楽での演出が沢山学べたのがよかったです。

大森:あとは個人レッスン以外に必修だったソルフェージュや楽曲分析とか。さすがは作曲理論の本場の国という感じで、内容がすごく豊かで面白くて。学校に入ったからこその経験でした。

そして、作曲科でも、指揮科でも、しっかりできる技術以上に、むしろ「あなたが何を考えているのか」というところを重視されましたね。

日本よりずっと、自分の意見がどうあって、どう分析したのかを、カタコトだろうが授業では日々説明して意見交換していかないといけない。言葉に苦労はしましたが、たくさん取ったどの授業のクラスメイトや先生も、フランス語の拙さよりも私の意見そのものを重視してくれました。

「間違えても当然」「話すことで授業を前に進める」という空気は日本の学校との大きな違いだと思います。「空気を読んで周りからどう見えるか」より「自分の心と音楽」に集中する中で、考えてることをちゃんと言葉にすることも学びました。

吉田:学校の卒業試験はどんなことをしたんですか?

大森:1年目は5分くらい、2年目は10分くらいの映画に音楽をつける課題でした。セリフだけ入っている映画に合わせて、楽譜のスコアを作って、音楽つけなさいっていうものですね。自分で作曲しオーケストレーションをして、専用のソフトで音を作って、提出しました。

その中で目立つソロの音とかは、実際に演奏家の方にレコーディングをしてもらったのですが、その後リミックスするために、エンジニアさんにもついてもらいました。

レコーディングしながら「ここでリバーブとか響きが欲しいです」という打ち合わせもしたりして。それも含めて何週間という期限もありました。

突然のコロナ禍。全てがストップした留学2年目

2019年に挑戦したドヴォルザーク国際作曲賞表彰式にて

吉田:留学を2年で終わるという決断は、どのタイミングでされたのですか。

大森:留学2年目で何事もなく映画のコンクールで良い結果が出てたとしたら、もっと長く留学していたかもしれません。ですが、ちょうど2年目にコロナ禍になってしまったんです。集大成として挑んだ映画音楽の国際コンクールでちょうど決勝進出できて、気合いを入れていときにパリが都市封鎖。

ファイナルも延期じゃなく中止されて、すごく気持ちが落ち込んでしまって。これがいつ終わるかわからない状態で、学校も何ヶ月も閉鎖になってオンラインだったので、人との交流もかなり減って。

 それまで遠隔で日本からの仕事もいただいていたんですけど、コンサートもできなくなったから楽譜の収入とかもなくなって…。

そんなお金が減っていく状態で、何かあったときに不安に感じたので、これ以上ここに残って留学生活を続けるよりも、日本に帰って働いて人の役に立ちたいって思ったんです。それが2020年の夏でしたね。

日本に帰国してからのキャリアについて

吉田:帰国されてからは、どんな活動をされていたのですか?

大森:就職活動をするには中途半端な時期だったので、すぐには見つかりませんでした。なので、フリーで作曲や編曲の仕事をしていたのですが、ふとパソナの募集を見つけて。

そこは契約社員で、年度関係なく募集していて、週3、4勤務から選べたので、フリーでも仕事がしたい当時の自分にはぴったりだと思ったんです。

そんなこんなで、日本に帰国して3、4ヶ月ぐらいしたときにその面接を受けて内定をいただけたので、その年の冬から働き始めました。

留学を考えている人へメッセージ

吉田:最後に留学したいなと思ってる方に向けたメッセージをお願いします。

大森:留学に興味があったら、まずは、がっと働いてお金を貯める。そして、思い切れるタイミングで迷わず行ってしまうことをおすすめします。

フランスという「自分がどうしたいのか」を聞いてくれる環境に行って、周りを気にせず自分の作りたいものを作れて、その結果、自分のアイデアや積み上げてきたものが認められたり、自分の個性の活かし方を知れたことはすごく自信になりました。フランスで過ごした2年間は、一生の宝物です!

あの時、もしそのまま留学を諦めていたら、多分後悔しただろうなと思います。年齢が20代後半だし…と考えた時もありましたが、行ってみたらもっと上の人もいるし、年齢なんて関係なかったんだと感じました。

なので、気になることがあれば、ぜひチャレンジしてみて、いろんな人に出会って、いろんな景色を見るといいと思います!

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