皆さんこんにちは、アドバイザーの井上朋実です。
今回の留学インタビューは、ピアニストの安藤里紗さんにご協力いただきました。
リヨン地方音楽院のピアノ科と伴奏科、そしてリヨン国立高等音楽院のピアノ科の修士課程をご卒業され、現在もフランスで活動を続けられている安藤さん。
フランスでのピアニストとしてのお仕事についても詳しくお話しいただきました!
安藤里紗 Ando Risa
1996 年生まれ。愛知県立明和高等学校音楽科、京都市立芸術大学音楽学部を卒業後フランスへ留学。
リヨン地方音楽院にてピアノ科並びに伴奏科へ。在籍後リヨン国立高等音楽院大学院ピアノ科へ入学、2023 年修了。フランスを中心に定期的にソロや連弾、室内楽等のリサイタルを行っており 、Belles Musiques(Isère 県 )、Musiques en Vercors(Isère 県 )、OpusCorsica(コルシカ島)等の音楽祭に出演。一時帰国時にはリサイタルの他芸術活動・キャリア教育の一環として愛知県内の小中学校で講演・演奏を行うなど、多方面にて活躍している。レオポルド・ベランコンクールピアノ部門第三位(フランス)、ルイジチェリテッリコンクール室内楽部門第一位(イタリア)。2022 年ランプド国際音楽コンクール(Puy-de-Dôme 県、フランス)クラリネット部門公式伴奏者。現在はリュエイユ・マルメゾン地方音楽院にてピアノ講師・伴奏員として後進の指導にあたっている。
フランス音楽留学のきっかけ
井上:まず、フランス音楽留学のきっかけを教えていただけますか?
安藤:中学生のときに、元パリ国立高等音楽院教授のアンリ・バルダ先生(以下:アンリ先生)のコンサートを聴きに行きました。
そのときに、アンリ先生の音の色彩感にすごく衝撃を受けて、私もフランスに留学したいという気持ちが芽生えました。
その後は、元々フランス音楽やフランス語がとても好きだったので、通っていた高校や大学でフランス語の授業を取りました。
井上:そうだったのですね!
中学の頃からフランス留学を考えられていたなんて素晴らしいですね!
安藤:はい。ずっと憧れてはいたものの、最終的には大学まで日本で勉強を続けました。
そして大学3年生の後期から本格的にフランス留学を視野に入れ始め、準備を進めていきました。
井上:安藤さんは日本の音大を卒業された年にフランス留学をされたのですか?
安藤:はい。
3月に大学を卒業して、当時はリヨン地方音楽院の入試が10月に行われていたので、9月末に渡仏しました。
フランスの音楽院と先生探し
井上:それでは留学を決心されてから、どのように音楽院や先生を探しましたか?
安藤:フランス人の先生による講習会やマスタークラスを受けたことがなかったので、インターネットで調べるしか方法がありませんでした。
まず私の場合は、留学先をパリにするか、それとも地方都市にするかを迷っていたんです。
都市の決め手としては基本的に都会が苦手だったので、パリではなくリヨンを視野に入れるようになりました。
調べていく中で、リヨンにはリヨン国立高等音楽院(以下:CNSMDL)とリヨン地方音楽院があることを知りました。
実際に先生を探すときは、先生の演奏を聴いてから決めたいなという気持ちがあったので、YouTubeとかで先生の名前をひたすら検索して、色々な方の演奏を聴きました。
その中で、リヨン地方学院に勤めていたエルベ・ビヨー先生(以下:ビヨー先生)という先生を見つけました。
そのことを当時大学で習っていた野原みどり先生(以下:野原先生)にお伝えすると、ちょうど野原先生のご主人がリヨン地方音楽院に留学経験のある方で、お力を貸してくださることになったんです。
野原先生もパリエコールノルマルでの留学経験があります。
そしてご主人が、今もリヨン地方音楽院でサックスの先生をしていらっしゃるジャンドニ・ミシャ先生とお知り合いで、ミシャ先生を通じてエルベ先生のご連絡先をいただきました。
井上:素晴らしいご縁ですね!
安藤:はい。有り難かったです。
ビヨー先生は、韓国でよくマスタークラスをおこなっていらっしゃいます。
そこでビヨー先生に、「フランスに来るより韓国なら費用も安くすむし、早く来れると思うからレッスンを受けにおいで」と言っていただき、大学の3年生と4年生の際に1回ずつ韓国で、プライベートレッスンをしてもらいました。
そこで受けたレッスンがとても刺激的で、音楽の色彩感が違うことや、ビヨー先生の音の例えがすごく詩的だったことに感銘を受けました!
そこに魅力を感じ、「将来はビヨー先生に習いたいです」と直接お伝えしたんです。
井上:アジアでよくマスタークラスを行っている先生とは、日本やフランス以外の第三国でお会いするのも良いアイデアですね!
音楽留学に向けたフランス語学習について
井上:エルベ先生とは何語でやりとりをされていたのですか?
安藤:外国人生徒と接することに慣れている先生だったので、韓国で受けた2回のレッスンは英語で受けました。
フランスに留学してからも、最初は少し英語でコミュニケーションを取っていましたが、「フランス語に切り替えましょう」とビヨー先生に言われたので、そこからはフランス語でレッスンを受けるようになりました。
井上:先生が積極的にフランス語を話してくださるのはありがたいですね!
フランス語はどのように勉強されましたか?
安藤:大学の4年間、フランス語の授業を取り、大学在学時にDELFのA2、卒業2ヶ月後にDELFのB1に合格しました。
大学での授業の他に、独学でも勉強していて、本屋さんで文法書を買って勉強したり、NHKのフランス語の番組を観てノートをとったりもしました!
リヨンに住み始めてからは、CPUという語学学校に通いました。
料金は、当時1年間で1万円にも満たないという、魅力的な価格で通うことが出来たんです。
また、先生たちも優しくコロナ禍で日本に一時帰国している際もオンラインでレッスンをしてくださいました。
先生方には、ご自宅でのご飯会にお呼びいただいたり、フランス文化を教えていただいたり、CNSMDLで論文を書く際もお世話になりました。
井上:とても素晴らしい先生との出会いでしたね!
リヨンでの物件探し
井上:リヨンでの物件はどのように探されましたか?
安藤:家を探していたときに、ちょうど知り合いの日本人クラリネット奏者の方が住んでいるお家で、その一部屋が空いているという情報をもらい、すぐにそこに連絡しました。
それで直接大家さんを紹介していただき、フランスではよくあるルームシェアという形で、そのクラリネット奏者の方と一緒に住むことになりました。
家でも、留学に関することなどをすぐに相談することが出来たので、安心して生活することが出来ましたね。
リヨン地方音楽院での生活とリヨン国立高等音楽院の受験
井上:リヨン地方音楽院での生活はいかがでしたか?
安藤:リヨン地方音楽院1年の時に、ビヨー先生から「パリ国立高等音楽院(以下:CNSMDP)を受験してみないか」と勧められました。
日本では絶対自分には無理だと思っていたのですが、自分もCNSMに入れるかもしれないんだ!と、自分の可能性が広がり嬉しかったです。
そしてリヨン地方音楽院2年目に、リヨン地方音楽院の伴奏科とCNSMDLのピアノ科の修士課程を受験し、無事に両方合格することが出来ました!
井上:2年目で合格、素晴らしいですね!
受験の準備は大変でしたか?
安藤:結構大変でした。当時、修士課程の受験は1次、2次がなく1回の演奏で合否が決められていたんです。
また、プログラムには現代曲も取り入れる必要があり、さらに入試の1ヶ月前に発表される課題曲も仕上げなければなりませんでした。
そして入試の時点で論文のテーマや文献を記入し提出しないといけなかったので、研究したい事について文章をまとめるのも大変でしたね。
ですが、ビヨー先生は元CNSMDLの助教授だったこともあり、的確なアドバイスをいただくことが出来ました。
さらにフランス語の文法はクラスのフランス人の友達が添削してくれて、本当に助かりました!
井上:1人だけでは用意するのが大変ですもんね!
CNSMDLでの学校生活
井上:それではCNSMDLで印象に残っているエピソードをお聞かせいただけますか?
安藤:CNSMDLで師事していたジェローム・グランジョン先生(以下:グランジョン先生)のパリ地方音楽院とCNSMDLの門下生合同で連弾コンサートが毎年行われていたのが、特に印象に残っています。
この連弾コンサートのおかげで、門下生との親睦を深めることができて嬉しかったです。
また、シューベルトをテーマにしたり、ストラヴィンスキーの春の祭典を連弾で演奏したりと、聴くことでも弾くことでもレパートリーを増やすことが出来ました。
あとは、修士課程でさまざまな奏者との出会いがあり、自分のしたい勉強が見つかって、そこに集中して学べたことも良い思い出です。
大学院1年の時にグランジョン先生の推薦でアルフレッド・ブレンデル先生の室内楽のマスタークラスを受けることになったのですが、このマスタークラスをきっかけにクレモン・オアロー(以下:クレモン)というヴィオラ奏者と出会いました。
クレモンは弦楽四重奏で普段よく演奏しているのですが、日々の合わせ練習の中で、今までにない新しい目線で音楽に対するアドバイスをくれたり、2人で色々と探り合っていくことが出来ました。
そしてデュオだけではなく、トリオやカルテットの演奏もして様々な作品に触れることが出来た大学院2年間でした。
井上:アンサンブルで得られるものって大きいですよね。
それではソロでの活動はいかがでしたか?
安藤:修士課程2年生の時に、フランスのフェスティバルにご招待いただき、リサイタルを行いました。
そのフェスティバルにはミシェル・ダルベルト氏やカロリーヌ・サジュマン氏といった名ピアニストもいらっしゃったのですが、彼らと同じ場所でリサイタルをさせていただけたことは、素晴らしい経験となりました。
このフェスティバルでは、地元の方たちと交流する機会も多く、とても和やかな雰囲気で終えることが出来ました!
また、リヨン地方音楽院在学中から、老人ホームでのコンサートも積極的に行っていました。
はじめは、学校企画の一環として参加していたのですが、CNSMDLに入学してからは老人ホームでの演奏会を企画するアソシエーションからお仕事としてお話をいただき、ソロで演奏をしに行きました。
会場のピアノはアップライトだったりするのですが、演奏会の途中で楽曲説明を入れたり、演奏会後はそのホームにいらっしゃるご老人とお話しして交流したりと、毎回とても温かい雰囲気でした。
井上:聴いてくださる方と直接交流できるのは奏者にとっても嬉しいことですよね!
リヨン地方音楽院の伴奏科
井上:安藤さんはCNSMDLと同時にリヨン地方音楽院の伴奏科にも通われていたとのことですが、伴奏科での生活はいかがでしたか?
安藤:伴奏科では、様々な楽器の奏者の方と共演する機会があり、人との繋がりが一気に増えました。
合わせの段階から、積極的に自分からテンポや音色等の提案をしていかないといけなかったので、フランス語も自然と上達しました。
ソロだけの活動だと、ピアノ科の方とのコミュニティーに限られてしまうので、伴奏科にも入って良かったと思います。
井上:ソロの演奏活動も大切ですが、アンサンブルで得られるものは大きいですね!
現在のフランスでの活動について
井上:CNSMDL在学中に卒業後のビジョンはありましたか?
安藤:修士課程在学中に、アルバイトとしてピアノのレッスンを始めたのですが、教えていく中で、生徒さんたちが上達していく喜びを知ることができました。
門下生の発表会などを通して、将来は教える仕事に就きたいなと思うようになったんです。
教える仕事と並行して、国際コンクールを受けたりリサイタルを行ったりしてピアニストのキャリアを高めていって音楽的に充実した生活を送りたいなと思っていました。
そして大学院2年生の終わり頃に就職活動を始め、今はフランスで教えるお仕事と、伴奏のお仕事をしています。
井上:教えや伴奏のお仕事をされながらピアニストとしてのキャリアも積まれていて素晴らしいですね!
フランス音楽留学して得られたこと
井上:それではフランス音楽留学して得られたことを教えてください!
安藤:まず第一に国際的な視野を持てたことです。
日本にいた時は、海外のことも自国のこともそこまで知りませんでした。
ですが、フランスで様々な国の方とお話をする中で、日本のことももっと知ろうという気持ちにもなりました。
交際交流を深めるうちに、人としての価値観も変わりました。
また楽器面についても、元々はフランスの先生方の音の色彩感に惹かれてフランスに留学しましたが、ピアノの技術面でも大きく変わったことがあります。
高校、そして日本の音大の時は弾けなかったパッセージが修士課程の際に久々に練習し直すと弾けるようになっていて嬉しかったです!
特に手首の柔らかさや音の出し方、そして拍感が留学以降変わったと思います。
井上:昔練習していた曲と久々に向き合うと自分の成長を実感することができますよね!
これからフランス留学したい方へのメッセージ
井上:最後にこれからフランス留学したい方へのメッセージをお願いします!
安藤:これから留学される方も、なんとなくで良いので将来のビジョンを描いてみてください。
というのも、フランスは学歴社会なところがあるので、フランスで活躍されたい方は国立高等音楽院、もしくはどこかで学士課程を卒業された方が将来に繋がります。
2年間だけ、など短期間の留学をして日本への帰国を決めていらっしゃる場合は、地方音楽院でレッスンだけ受けるという留学方法もあります。
地方音楽院の場合、国立高等音楽院に比べて年齢制限も高いので、日本の大学を卒業してからでも全然大丈夫です。
井上:安藤さんのように日本の音大を卒業されてから修士課程でCNSMDLに進学されることも可能ですしね!
安藤:はい。せっかく日本の音大に入学したのに、中退してフランスの地方音楽院を卒業して帰国しても、学歴的には何も残らないので勿体無いなと思います。
ピアノ科に関しては、パリ国立高等音楽院の学士課程の年齢制限は厳しいですが、20代前半であれば入れる音楽院が沢山あるので、日本の大学を卒業してから留学しても全然遅くないので是非挑戦してみてください!
井上:日本の音大を卒業してからでも安藤さんのように、修士課程に進学しフランス留学することも可能ですね!
本日は貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。