皆さんこんにちは、フランス音楽留学アドバイザーの袴田美帆です。
今回の留学インタビューは、パリ在住の声楽家・井内亜裕未さんに協力していただきました。
日本では音楽高校・音楽大学に通ったものの、様々な葛藤があったという井内さん。
環境を変えるべくフランスに音楽留学し、現地でのアルバイトをきっかけに、新たな道を見つけられたそうです。
様々な苦難を乗り越えながらも、今はパリで自分らしく音楽と向き合われている井内さんの、素敵なエピソードをお届けします。
井内 亜裕未 Ayumi Iuchi
1989年タイ・バンコク生まれ。東京音楽大学附属高校を経て東京音楽大学に進学、2年中退。NPO法人スヴニールsouvenir 設立。2014年渡仏、スコラカントラムパリに留学。2015年、日仏文化芸術交流アソシエーション le murmureを設立。パリで日本のアーティスト、文化芸術を広めるイベントを主催している。ノワジールセック音楽院を経て、現在セーヌ=サン=ドニ県立パンタン音楽院に在籍中。同時にウェルネスセラピストとして全ての人が自分の心と身体の健康に自信を持てる社会を目指して活動している。
現在の活動について
袴田:まず、井内さんの簡単な自己紹介をお願いできますか?
井内:はい。私は2014年にパリに来たので、今ちょうど留学10年目になります。
はじめは、スコラ・カントルム音楽院に留学していました。
今も学生としてパリ郊外の音楽院に在籍しているのですが、同時にウェルネスセラピストと自然療法士として働いています。
自然療法というのは、一般的な西洋医学ではなく、ハーブなど自然のものを利用して身体にアプローチするというもので、フランスで資格を取得しました。
袴田:そうなんですね!今のお仕事に関するエピソードもお伺いできればと思います!
留学のきっかけ
袴田:井内さんの留学のきっかけをお伺いできますか?
井内:はい。私は、東京音楽大学附属高校から東京音楽大学に進んだのですが、何となく学校で自分の居場所を見つけられないな、と感じていました。
何か表現をしたいけれど、技術がなくてできない…という状態が、ずっと続いていたんですよね。
もともと、歌うことは好きだけれど、学校のレッスンやコンクールのために歌う、というのが自分には合わないような気がしていたんです。
なので、高校2年生の頃、病院や老人ホームに慰問演奏する任意団体を作って活動したりしていました。
袴田:高校生の頃に立ち上げたのですか。学生の頃から活動されていたなんて、すごいですね!
井内:でも、学校の中での居場所を見つけられないのは続いていて、大学2年生のときにストレスで声が出なくなってしまったんです。
ずっと悩んでいたこともあったので、それを機に大学を中退しました。
袴田:そうでしたか。
井内:そこからは、任意団体をNPOにするための活動をしていたのですが、あるとき両親から「場所を変えるのはどうかな?日本じゃなくて海外っていう手もあるよ」と言われました。
実は高校生の頃、ロンドンのギルドホール音楽院で教えていらっしゃるピアニスト・小川典子先生が来日された際、よく学校で特別レッスンをしてくださっていたんですよね。
それで、大学に上がる前の春休みに、小川先生のいらっしゃるギルドホール音楽院でレッスンを受けるため、先生に声楽科の先生を紹介していただきロンドンに行ったことがあったんです。
ただ、その時にイギリスはご飯が美味しく感じなかった思い出があり、イギリスに住むのは難しいなと思っていて…。
当時、イギリス以外の情報は何もなかったので、中退した後に留学斡旋会社に相談しに行きました。
そこで色んな国の情報を見ていたときに、フランスのクールシュべール国際音楽アカデミーの案内を見つけたんです。
袴田:今のムジークアルプ(ティーニュ)に当たる講習会ですね!
井内:そうです。それに参加してみようと思い、フランス語も全くできない状態で参加してみました。
そしたら、そこで教えていただいたペギー・ブーブレ先生がすごく私に合っていたので、初めてレッスンを受けた日の夜に両親に電話して「私、パリに留学する!」と宣言しました。
ただ、その先生はとても人気で、教えていらっしゃる学校には当時空きがなかったんです。
ですが、とりあえずフランスにいればプライベートレッスンは受けられるとのことだったので、フランス留学への気持ちが変わることはありませんでした。
袴田:その方との出会いが、井内さんを動かしてくれたのですね!
私立音楽院と公立音楽院の違い
袴田:講習会に参加してからは、どのように長期留学を目指されたのですか?
井内:講習会から帰国して、本格的に留学について調べていたのですが、どこかの学校に入らないと学生ビザが出ないことが分かったので、留学斡旋会社に相談に行きました。
そこでご紹介いただいたのが、スコラ・カントルム音楽院(以下:スコラ)という私立の音楽院です。
スコラには、時期も関係なく入れるクラスがあり、そのクラスならいつでも受け入れてくださるとのことだったので、すぐに手続きをはじめました。
そしたら、日本にいながら入学許可が降りたので、フランスの新学期(9月)を待つことなく4月に渡航しました。
袴田:スコラには何年いらっしゃったのですか?
井内:3年ほどいました。
その後は、ご縁があったコレペティの先生に、先生が伴奏をしているノワジー=ル=セック地域圏立音楽院(以下:ノワジー=ル=セック)に来てみないかと言われ、大人の方々が通うクラスに入学しました。
袴田:何か、私立と公立の音楽院と比べたときに感じたことはありますか?
井内:スコラに通っていたときは、やっぱり私立っていうのもあって、横の繋がりを作るのが難しかったです。
レッスンしか授業がないので、レッスン課題を淡々とこなしていく感じでした。
授業数によって授業料が変わってくるので、何でもかんでも受講してみる、というのが難しいんですよね。
それに比べ、公立の音楽院では室内楽もしやすいし、集団授業も多いので、人脈を作ることができます。
あとは先生たちとの繋がりも、私立よりも公立の方が幅広くありますね。
袴田:周りの学生さんたちの様子はどうでしたか?
井内:私立の音楽院は、やはり留学生が多かったです。
ノワジー=ル=セックでは一般愛好家クラスに在籍していたこともあり、趣味で来ている人が多かったですね。
授業数はスコラとそこまで変わりませんでしたが、学校の雰囲気がよりオープンで、音楽院で練習することもできたので楽しかったです!
そこから、やはり一般愛好家クラスでは物足りなく感じてきたので、もう少し規模の大きい県立のパンタン音楽院に移ることにしました。
ここでは第3課程に入学したのですが、やはりレベルが全然違いました。
取らなきゃいけない必修科目も多いし、さらにいろんな楽器の人と一緒に授業を受けられるし、先生たちもすごく面倒見が良くて、今も毎日充実しています。
例えば、私が「この曲をこの楽器の人とやりたいです」っていうと、すぐにその楽器の先生に連絡を取ってくださり、一緒にやってくれる生徒さんと繋げてくれたりするんです。
室内楽の授業も必修だし、座学の授業も多いし、学校のイベントも多いですね。
この前は、近隣の劇場でミュージカルに出演しました。
あとはマスタークラスも定期的に行われており、有名な先生のレッスンも受けることができるので、本当に恵まれているなと感じます。
体調不良を機に出会った自然療法
袴田:現在井内さんは、ウェルネスセラピストや自然療法士としてのお仕事もされているとのことですが、それらのお仕事を始めるまでの経緯をお伺いできますか?
井内:はい。留学当初はアルバイトをしていなかったのですが、スコラ・カントルム音楽院は授業が週に1回しかなくて、すごく時間があったんです。
なので、練習ばかりになるよりも、少し仕事をしたいなと思い、日本人向けの求人情報が掲載されている掲示板をチェックするようになりました。
そこで、たまたま日系のマッサージ店が求人を出しているのを見つけたんです。
当時は全くの未経験でしたが、自分は歌手だし身体のことにはもともと興味があったので、とりあえず連絡をとってみました。
そうしたら、未経験でも研修があるし、若くて体力もあるなら大丈夫、ということでそこで働き始めることができました。
そこでリンパマッサージや指圧の研修を受けて、結局そのお店では4年ぐらい働きました。
そんなあるとき、別の日系整体院から「うちのマネージャー候補として働いてみないか?」とオファーがかかったんです。
少し悩みましたが、整体にも興味があったのと、パリでそんな機会は滅多にないと思い、そちらに転職することにしました。
整体はやったことがなかったので、また研修から始めましたね。
ただ、その整体院は日本に本店がある院で、一気に日本の社会に入った感じで、すぐに私には合わないなと感じるようになりました。
業務も忙しく、そうこうしているうちに身体的にも精神的にも体調を崩してしまったんです。
あまりにも不調が続くので、病院にも通うようになりました。
袴田:それでもお仕事は続けられていたのですか?
井内:はい。私はマネージャー+施術もしていたので、病院に通っていると言っても休ませてもらえませんでしたね。
なので、体調も全然良くならなくて、そのうち精神的な薬を処方されるようになりました。
でも、その薬は神経に働きかける薬だったようで、脳神経に悪く影響してしまい、さらに睡眠薬と一緒に飲んでいたこともあって、ほとんどの記憶を失ってしまう状態になってしまったんです。
袴田:え!そんなご経験をされたのですか。
井内:はい、これは去年のはじめくらいのことです。
パンタンの音楽院に通っていたのですが、学校に行ってもどこの教室に行けばいいのかわからない、楽譜も読めない、数字も書けない…という状態でした。
でも、学校には絶対に通い続ける!と決めていたので、周りの人たちに助けられながら休むことなく通いました。
結局3ヶ月くらい記憶障害が続いたのですが、学校に着くと受付の人や先生が迎えに来てくれたり、授業中はサポートの先生が横に付いてくれたり、本当に親切にしていただきましたね。
そんなことがあったので、それを機に仕事を辞めて、記憶をとり戻すことと学業に集中することにしました。
袴田:それは本当にお辛い時間だったとお察しします。
ですが、周りの人たちに恵まれて、記憶も戻ったとのことで、安心しました。
井内:はい。その安静期間に始めたのが、自然療法なんです。
どうしたら記憶が戻るんだろう、と思っていろいろ調べているうちに自然療法を見つけ、資格を取るために一日中カフェで勉強していました。
自分でも色んな療法を試したり、筆記の勉強で知識をつけたりして、なんとか試験にも合格することができました。
そして、自然療法士の資格の証明書をもらったら、一気に記憶が戻ってきたんです。
袴田:それがきっかけで自然療法を始められたのですね。資格も取得されたとのことで、おめでとうございます!
井内:ありがとうございます。
資格を取れたことで自信がついたのか、勉強するのがどんどん楽しくなっていき、アロマハーバリスト、脳神経科学、キネジオログ (運動機能学)、管理栄養士、ソフロロジー(自律訓練法)コーチの資格も取りました。
元々はリハビリのつもりでやってたことですし、自分の身体の調子と照らし合わせながら勉強できたのがよかったのだと思います。
きっと私以外にも、同じようにストレスでバーンアウトする人って多いと思うので、そういう人たちの助けになれたらいいなと思っています。
袴田:素晴らしいです!自然療法の方は、フリーで活動されているのですか?
井内:いえ、今はパリ6区・オデオンにある自然療法専門のお店で、責任者として働いてます。
自然療法はもちろん、マッサージなどの施術もしますし、私の持っている知識と経験からそれぞれのお客さまに合った施術や、日々のトレーニングや食事メニューのご提案しています。
袴田:すごく興味があります。私もぜひパリにいるときに行ってみたいです!
井内:ぜひいらしてください。やっぱり、ストレスを感じながら音楽を続けていくのは難しいですし、ベストな身体の状態でいることが上達の近道でもあると思うんですよね。
そんな時に、たまたま整体や自然療法のような、自分にあった仕事が見つかって、私自身すごく救われました。
私は今、胸を張って「音楽家です!」とは言えないかもしれませんが、好きな仕事をしながら音楽を学び、演奏活動をする今の生活が、自分にとっては一番満足できてるなって思います。
日々頑張る留学生・音楽家へ向けたメッセージ
袴田:たくさんの苦労を乗り越えながら、そんな風に思える生活を実現されたなんて、本当に素晴らしいです。
留学中、身体的にも精神的にも、バランスを崩してしまう方ってすごく多いと思うのですが、そんな方たちに向けて何か伝えたいことはありますか?
井内:音楽家の方たちには、少しでも疲れたなと思ったら、しっかりとケアしてもらいたいです。
実は今、パンタンの音楽院で、コンクールなどを控えている若い学生向けにプライベートで施術を行い、研究書を執筆しているのですが、いずれはそれを公式の授業時間に組み込んでいきたいと思っています。
袴田:そうなんですね!私も、パリ国立高等音楽院で音楽家のための身体の使い方講座や、アレクサンダーテクニークなどの授業を受講したことがあります。
そういう時間が定期的にあったのは、本当に助かりました。
井内:フランスだと、すでに取り入れている学校もありますよね!
音楽家にとって、メンタルケアとヘルスケアは本当に大事です。
それがなければ良い音も奏でられないし、良い音楽もできない。だからもう音楽をする全ての人に絶対必要なことだと思っています。
ここが痛いなって思ったときに、どういうケアをしたらいいのか?というセルフケアができるようになるのが一番だと思うので、もし私にお手伝いできることがあればお気軽にご相談ください。
「いい音が出ない」と感じたときに、それは自分の技術じゃなくて、身体に問題がある可能性もあるし、メンタルの可能性もあるんだよっていうのを、悩んでいる皆さんには伝えたいです。
あまり自分を追い詰めず、しっかり現実と向き合うことで、自分に合った方法を見つけていってほしいなと思います。
袴田:井内さんがご自身で経験されたからこそのお言葉ですね。
このメッセージに救われる方は、すごく多いと思います。
本日は、貴重なお話をありがとうございました!