今回インタビューにご協力いただいたのは、ピアニスト・松島史緒さんです。
学生時代に講習会への参加、そして社会人経験を積まれてから留学され、ピアノ科と伴奏科で学ばれた松島さん。
フランスで16年間を過ごし、2022年にご家族で完全帰国されました。
フランスの音楽院で伴奏員として働かれるまでの道のり。そして、フランスでの経験を生かした、日本でのコンサート企画への想いが伝わるエピソードを、お楽しみください!
松島 史緒 Fumiwo Matsushima
東京音楽大学卒業後、渡仏。パリ・エコールノルマル音楽院最高課程満場一致にて卒業し、コンサーティストディプロマを最短期間の7ヶ月にて取得。その後、パリ地方音楽院伴奏科を審査員満場一致首席にて卒業。クロード・カーンピアノコンクール第一位受賞などコンクール受賞歴多数。
10年間、パリ6区、18区音楽院で伴奏員として勤務。その傍ら、ソロ活動、Dreux国際コンクール、パリジャンサクソフォンコンクールなどのコンクール公式伴奏やオペラのコレペティなど、パリで様々な演奏活動を行う。
現在、日本に帰国し、コンクールや演奏会の伴奏、後進の指導など多岐にわたって活動している。
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留学のきっかけ
袴田:まず留学のきっかけからお伺いできますか?
松島:はい。6歳から習っていた横山歩先生(当時学生)が、私が小学3年生くらいの時にフランス留学をされたんです。
そのときに、彼女からフランス留学の話をなんとなく聞いていました。
あとは、高校生の時に、フランス留学経験のある作曲家・夏田昌和先生にソルフェージュを習っていたので、フランスって楽しそうだな、と思ったのを覚えています。
そして、大学3年生のときに、横山先生から「せっかくだから、フランスの講習会ぐらい行ってみたら?」と講習会の参加をおすすめされました。
日本国内には京都フランスアカデミーなどもあったのですが、せっかくだから今のムジークアルプ夏期国際音楽アカデミー(ティーニュ)にあたる、クールシュヴェル夏期講習会に参加することにしました。
そこで、横山先生の先生である、ジャック・ルヴィエ先生を紹介していただき、ルヴィエ先生のクラスで受講しました。
当時はインターネットも普及し始めたばかりで、今みたいに情報を調べる手段が少なく、講習会の細かい内容や、電車の乗り方などもよくわからないままでしたが、1人でフランスで電車を乗り継いで行きました。言葉も全く話せなかったので、怖いもの知らずだったなと思います。
袴田:スマホとかWi-Fiもまだないですもんね。
松島:ただレッスンに感動したのと、フランスの開放的な雰囲気に直感的に惹かれたので、その時に大学を卒業したらフランスに留学したいな、とぼんやりと思いました。
袴田:そうだったんですね。それで在学中から準備されていたんですか?
松島:そのつもりだったんですが・・・
4年生を卒業したときに「社会人として自立したい」と思い、自分が音楽で生きていくのにも不安を感じていたので、新卒で一般就職をしたんです。
袴田:そうでしたか。
松島:はい。それで就職して1年ちょっと働いていたのですが、フランスに行きたいっていう思いはずっとありましたね。
ちょうどその年に、横山先生が文化庁の新進海外芸術家研修生として2度目のフランス留学に行かれていたこともあって、より留学が現実的に感じられたのかもしれません。
そうしたら、先生から「フランスでは家を探すのが大変で、私は1年で帰らなければいけないから、私の後にこの家に入ったらどう?」とお声がけいただいたんです。
私は当時からやると決めたら行動が早いので、「私には普通の仕事がしっくりこないから、フランスで音楽を続けよう!」とその時に決意しました。
なので、4月から翌年夏まで会社に勤め、秋から横山先生が住んでいた家をバトンタッチでもらう形で、フランスに留学しました。
袴田:タイミングが良かったんですね。家があるから来なよ、と言ってくれるのはなかなか珍しいですよね。
松島:一筋縄にはいかない手のかかる生徒を、1から面倒見てくださったんだな、と、今でも先生に感謝してます。
留学先が決まらぬまま渡航?!
袴田: 留学先はどのように決められたのですか?
松島:高校生の時から色んな楽器の伴奏をしていて、伴奏するのが好きだったので伴奏を中心にやりたいな、とは思っていました。
そのことを横山先生に伝えたところ、フランスで伴奏科に留学されていた藤原亜美先生を紹介してくださり、準備し始めたのですが・・・
仕事もしていたのであっという間に時間が過ぎ、留学先が決まらないまま渡航することになりました。
袴田:そうだったんですか!
松島:そうなんですよ。
なので、学校探しは結局フランスに到着してからです。
当時はインターネットの情報がなかったので、一つひとつ音楽院に出向いて、試験日程を調べて片っ端から受験しました。
そんな中、なんとかヴェルサイユ地方音楽院の伴奏科に登録できたものの、私が合格した伴奏科の課程だと、VISAが降りなかったんです。
なので、VISA申請をするために、パリ・エコール・ノルマル音楽院(=以下ノルマル)のピアノ科にとりあえず登録しようという話になりました。
何も計画性がなく、その時の流れでピアノ科と伴奏科を1年目からダブルスクールすることになったんです。
ピアノ科と伴奏科の両立
袴田:ピアノ科と伴奏科のダブルスクールは、大変ではなかったですか?
松島:大変でしたね。まず、2つの学校が離れているので、それだけで大変。
でもそんな時、実はヴェルサイユの伴奏科のルオー先生が15区と6区の音楽院でも教えていらっしゃることを知り、ダブルスクールが大変なことを先生に相談したら「あなたの席を、パリ区立の方に移してあげるわよ!」と言ってくださったんです。
袴田:とても親切な先生ですね!
松島:そうなんです。なので翌年にパリ15区音楽院に移り、それでも少し遠かったので、その翌年に6区に移してもらい、結局6区に何年も通っていました。
袴田:とても自由でフランスらしいですね、
松島:それにもう一つ大変だったのが、ノルマルって入学するのは簡単なのですけれど、卒業するのが大変なんです。
しかも当時は、方針が変わっている最中で試験に通りづらい時代でした。
1次試験の前に指定課題曲が出るのですが、年々難しい曲になるので、学生達はヒイヒイ言ってましたね。
1ヶ月半くらいでリゲティの練習曲『悪魔の階段』という曲を仕上げたのは、今となっては良い思い出で、肩こりが酷かったです。
ノルマル入学当初は、伴奏科の片手間に通うつもりだったのですが、どんどん難しくなる試験に、私も第6課程演奏課の試験に落ちてしまって、それが悔しくて。
そこからは全集中でピアノ科の試験のために精進しました。
ノルマルの第6課程の試験は、実際は45分程度しか弾かないのですが、当日に言われた曲を演奏するという試験だったので、準備しないといけないプログラムはコンチェルトの全楽章含めて、1時間半以上あって、私にとっては大変でした。
それに当日、何を弾くかわからない試験だったので、色々鍛えられたように思います。
そんなことをしているうちに、段々とコンクールで賞などももらえるようになって、自信もついて、最後の試験にあたるコンサーティスト課程は、準備した曲は全部弾けるし、プログラムが短くなるので、準備期間は短かったのですけれど、気楽に試験を受けることができました。
クラスの雰囲気も色んな国籍の学生が所属していて、背景それぞれだけれど、みんな一直線にピアノを練習していて、とても刺激になる環境でした。青春ですね。
あとは、クリスチャン・イヴァルディ先生にも個人レッスンで定期的に、3年間くらい教えていただきました。
彼のマスタークラスに伺った際に、室内楽の演奏を聴き「この先生に習ってみたい!」とピンときたんですよ。
なので、後で話しかけに行って、「レッスンしていただけませんか?」と直接お願いしたら、2つ返事で受け入れてくださったんです。
私は、個人的に室内楽の曲も勉強したかったので、イヴァルディ先生とは室内楽作品を中心に勉強しました。
伴奏科にも所属していたので、シューマンの幻想小曲集など、自分も深く勉強したい曲の伴奏を頼まれたりするんですよね。
そういう室内楽の曲をじっくりと出来たのはよかったです。
袴田:みなさん優しいですね。そして、なんでも言ってみるものですね!
松島:そうですね。フランスって風通しが良いんですよね。
学生、仕事、そして母となったフランス生活
松島:そうこうしている間も、引き続き6区に通って、伴奏科のレッスンと練習はずっと続けていたのですが、あるとき学校でルマリエ・千春先生とすれ違ったんです。
袴田:学生として通われていた時に出会われたんですね!
松島:そうなんです。
そしたら、伴奏科の資格も取らず、ピアノの練習ばかりしている私を見かねた先生たちに「せめてCEM (Certificat d’Études Musicales=音楽研究証書)を取得する試験を受けなさい。」と言われ、学年末の時期にCEMの試験を受けました。
ノルマルの、一番最後のコンサーティストの試験を受けた数ヶ月後だったと思います。
ちょうどそのとき「このまま全部卒業すると、学生は終わるけれど仕事もないし、どうしよう!」となっていたんですよね。
CEMでは、まだまだ伴奏員として仕事は出来ないし、ノルマルの資格は公立の音楽院で働くには通用しない、という話になり、せめて伴奏科のDEM (Diplôme d’Études Musicales=音楽研究資格)を取った方がいいとのことだったので、入学試験を受けることにしました。
袴田:そのタイミングだったんですか!
松島:そうなんです。同じ時期に伴奏員としての仕事も始めました。
CEMの試験を聴いてくださった、6区音楽院の当時のディレクターが「あなたが試験で弾いたシューマンが良かったから、仕事をお願いしたい」と電話がかかってきたんです。
それを機に、6区にある小学校のアトリエの伴奏のクラスの仕事を始めました。
しかもその時に出産もしたので、子育てをしつつ、伴奏科に通いながら、仕事をしていた時期です。
そんなとき、伴奏科最後の1年で、ずっとお世話になっていたルオー先生が退官されたんです。
なので、1年だけ現在も区立で教えていらっしゃる、セドリック・ロレル先生とジャン=マリー・コテ先生にも師事していました。
ですが、ルオー先生も「最後まで、面倒見てあげる!」と、自宅で毎週レッスンして下さって、優しい先生方のおかげで首席で卒業することが出来ました。
袴田:皆さんの応援が伝わってきます!
松島:迷惑ばかりかけていたのですが、本当に皆さんに助けられました。
また、働いていた小学校のアトリエの伴奏をしていたところ、アトリエのクラスの統括していた6区の音楽院の先生が「アトリエではなく、音楽院の私のクラスの伴奏をお願いできないかしら?」と声をかけてくださり、音楽院でも伴奏を始めました。
袴田:音楽院の伴奏というのは、どんなお仕事ですか?
松島:音楽院に在籍している子どもたちは、全員コーラスの授業を受講しないといけないシステムになっているのですが、そのクラスの伴奏です。
その時に、千春先生のクラスの伴奏員の方が病気で、代理でサックスのDEMの卒業伴奏もしたのですが、伴奏した生徒さんが1番で卒業ができて、本当に嬉しかったです。
その話を聞いた、クラリネットのブルーノ・マルティネーズ先生から「Spécialisé過程の生徒の伴奏をしてほしい」と突然電話をいただき、クラリネットのクラスにも行くようになりました。
すると、音楽院側が、私を公式の伴奏員として雇った方が早そうだという話になったんです。
なので、そこからはコーラスではなく、6区音楽院の器楽伴奏員に配属になりました。
音楽院の伴奏員としての仕事
袴田:その流れで6区で働かれるようになったんですね!
実は史緒さんとは、私の留学1年目に6区の音楽院で出会っていて、コンクールの伴奏で初めて一緒に演奏させていただいたんです。
史緒さんは、他の区立音楽院でもバレエ伴奏をされていましたよね?
松島:そうなんです。
それこそノルマルのコンサーティストの試験が終わって仕事しないと、と思って、パリ市内の全部の区立音楽院に書類を送ったんですね。
そしたら、9月の新学期が始まる直前ぐらいに18区の音楽院から電話がかかってきて「明日の夜、バレエのクラスの伴奏に来てくれないか?」と言われたんです。
バレエの伴奏なんてやったことがなくて、どうしようと思ったんですが、とりあえず仕事をしたかったので「バレエ伴奏の経験はありませんが、空いているので行きます!」と速攻で返事をしました。
その結果「史緒の実力は全然わからなかったけれど、一生懸命やってたから、1ヶ月間雇用してみて、駄目なら他の人にします」と言われ、なんとか始めることが出来ました。
そんな危うい感じでしたが、なんと帰国する直前まで10年も働きましたよ!
袴田:素晴らしいです!それがきっかけだったんですね。
松島:ドタバタ劇から始まるっていうのが、フランスっぽいですよね。
袴田:はい、これぞフランスの無茶振り!っていう感じです。
帰国後の活動|子どもたちの身近に芸術を
袴田:そんなこんなで、10年以上フランスでお仕事と子育てをされて、2 年前に日本にご家族で帰国された松島さん。
現在の日本での活動をお聞きしてもいいですか?
松島:はい。今はプライベートでピアノを教えながら、大学の学生の伴奏や、演奏活動をしています。
特に、袴田さんと2018年に立ち上げた親子向けの「旅するコンサート」は、毎年パワーアップして続けられている企画ですね。
私の両親がクラシック音楽が好きだったので、幼い頃からコンサートに連れて行ってもらったりしていたんですよ。
でも、なかなか子どもが聴くのには難しくて、だからと言って、当時身近なところで開催されていた子ども向けのコンサートでは、本格的な音楽が聴けなかったりして。
袴田:すごく共感します!
子どもでも「私たちは、みんなが知っている曲の演奏を演奏しますよ」っていう雰囲気は伝わるんですよね。
松島:そう。
子どもの頃って、とくに知っている曲を聴きたいわけではないんですよね。
だから、一般的に知られていないクラシックの音楽を子どもたちに届けるにはどうしたらいいんだろう、っていうのをいつも考えていました。
袴田:日本で「聴き馴染みがある有名な曲」とされている作品って、実は本場のヨーロッパではそんなに演奏されなかったりしますし、そもそも日本で言う有名な曲ってなんだろう?ってなりますね。
松島:そうなんですよ。
フランスで子どもたちと働いていると、みんなが初めて聴く曲でも、楽しそうに歌ったり演奏したりするし、知らない曲でも面白く聴ける器が広いというか、とにかく新しいものへのチャレンジ精神が強いなと思いました。
あとは、子どもたちが教会や美術館で演奏したりするのも楽しそうでしたね。
袴田:そうですよね。
とにかく、街のいろんなところで様々な音楽に触れられるのが大きいなと思います。
松島:そうですね。あとは、お金持ちの家庭じゃなくてもクオリティの高い音楽教育が受けられるのも、フランスならではですよね。
私たちが住んでいた19区って、あまり民度が高い地区ではなかったんですが、娘の同級生の子どもが、フィルハーモニーのコーラスに入ったりしていて。
両親はクラシック音楽とか聴くタイプじゃないのに、やっぱり身近にあるから、音楽っていいな、何か素敵なことだな、って思えるようなきっかけがあるんでしょうね。
袴田:自発的にやりたい!と言う子が多いのは素敵なことですよね。
松島:そう。それでも、やっぱり音楽院の授業はもちろん、美術館コンサートとか、色々工夫しながら新しい音楽に触れていくことで、知らない芸術に対する偏見が少しずつ取れていくんだなと思います。
だから、今自分が教えている生徒たちには、積極的にコンサートや美術館など、芸術に触れる機会を身近に感じて欲しいと思って、私も自分の子どもを連れて行きたいと思ったイベントがあったら、お勧めしています。
ただピアノが弾けることじゃなくて、何を表現したいかを大切にしてもらいたいんですよね。
袴田:まさしくその通りですね。
どんどん新しい音楽に触れて、一人ひとりが好きな音楽を見つけてもらいたいです。
松島:そうですね。
フランスの音楽院って、伝統を伝え、そこから自分なりに発信できる人を育てるイメージなのですが、日本のピアノ教室っていうと、曲が弾けるようになる、楽譜が読めるようになる、って少し表面的になっているところも多いと思うんです。
でもそれだとどこかで行き詰まると思うから、音楽、芸術への興味を引き出せるような指導者になりたいですね。
袴田:確かにその傾向はありますよね。
コンクールが多いのもあるでしょうけど、ピアノが弾けることが、単なる得意・不得意の枠に入ってしまうのが少し残念に感じます。
松島:そうなんですよね。
アドバイザー袴田と企画・演奏を続ける「旅するコンサート」
松島:先ほどチラッとお話しした「旅するコンサート」は、私の地元・東京都日野市で袴田さんと一緒にフランスで得た経験を元に、日本の子どもたちに、フランス風のスタイル「身近に楽しめる芸術」を共有していきたいという目的で始めました。
私みたいに長年フランスにいて、音楽院で働いて、子育てまでしている人は、少ないと思うので。
フランスの親目線で日本にも芸術を伝えたいなと思っています。
袴田:松島さんと出会ったのは、私が留学1年目で21歳の時でした。
ちょうど大学でアートマネジメントを研究していて、子どもコンサートの企画と運営をやっていた時だったんです。
松島:そう!
袴田さんのコンクールの伴奏をさせてもらって、その時の第一印象で「この子と演奏すると楽しそう!」ってピンと来たんですよ。
そしたら、袴田さんも子ども向けのコンサートがやりたいって言うので、そのプロジェクトがどんどん進んで行ったわけですよ。
袴田:ありがとうございます!
当時は、まだパリ国立高等音楽院の受験もしていなかったと思うのですが、こんな私でも日本で企画・演奏できるなんて!と、本当に嬉しかったのを覚えています。
1回目はイオンモールのフードコートでしたね。
子どもたちと世界を回って、最後はみんなでダンスをして・・・という感じでやったら、すごく好評で、翌年にホールで開催させてもらえることになったんですよ。
松島:そうなんです。やっぱり子どもたちを巻き込むと、より身近に感じるし「子どものダンスや子どもの声が聞こえてくると、お客さんもすごく注目していた」とも言われました。
袴田:私たちも演奏しながら元気になれますしね!
あと、子どもたちの視点って素直で、意外と鋭くて、勉強になることが多いですよね。
ただ、学芸会っぽくならない、子どもたちの巻き込み方に試行錯誤しましたよね(笑)
松島:そう、そう!
どうやって出演してもらうかは、毎回悩みどころです。
あと、コラボレーションダンサーの方や、プロジェクターを使った演出も取り入れたりしています。
ダンスの指導をしてもらったり、子どもたちに、音楽のイメージで絵を描いてもらったものをデジタル化したり、音楽に合わせて私たちのイメージを抽象的に表現したり・・・
最初は全部私たちでやっていましたが、最近はいろんな分野のプロの方と一緒に作っています。
袴田:これからももっとパワーアップさせていきたいですね。もっと派手に盛り上げたいです!
松島:「かっこいい、行って良かった!」って子どもが思えるようなコンサートにしたいですね。
子どもコンサートへの思い
袴田:松島さんが子どもコンサートを企画・演奏される上で、大切にしていることはありますか?
松島:はい。ただ知っている曲を弾くようなクラシックコンサートをするのではなく、大人やプロが聴くようなプログラムでも、視点を変えて、子どもがわかりやすいように演出をしたりすることを心がけています。
私は小さい頃から、親が趣味でCDでクラシックを聴いていたので、家では耳にはしていたけれど、学校生活や友達と遊んだりする中で、クラシックは全く身近ではなかったんですよね。
私って親が音楽家でもないし、本当に庶民的なんですよ。
だから、大きくなるにつれて、高尚なものを見ても、普段の生活とあまりにかけ離れているので、あまり心に響かなくなってきたのを覚えていて。
学校生活やら現実的なものに追われてると、新しいことにチャレンジするのも疲れてくるし、感覚も鈍ってきて、芸術にワクワクする感覚を失ってしまった時もあったんです。
その感覚を見失わないためには、芸術の身近さや、シンプルに素敵!かっこいい!って思えるように伝えることが大切だと、フランスで気づきました。
フランスで子育てしていて、子どもと一緒にコンサートや美術館に行ったりする中で、そういう工夫がフランスでは盛んに行われていると感じたんです。
最初はやっぱり「コンサートや美術館に行こう」と言っても、ディズニーランドに行くわけではないし少し面倒くさそうにするんですが(笑)
それでも行ってみると、子どもが楽しめるような演出もしてあるし、何より家族やお友達と出かけた楽しい思い出として残るんですよね。
子どもって純粋だから、みんなで楽しい時間を過ごせたら、どんなことでも素直に受け入れてくれるんです。
袴田:そうですよね。きっかけさえあれば、どんなことにも繋がる気がするので、これからも頑張ってワクワクな企画を続けていきましょう!
留学したい人へ向けたメッセージ
袴田:最後に、これから留学したい方へ向けてメッセージをお願いします。
松島:はい。
もう、すごく優秀な人っていうのは、自然に仕事が見つかったり、若いうちから国立高等音楽院などに行ってソリストになったりしていくと思うんですが、私のように行き当たりばったりで迷いながらキャリアを探す人も多いと思うんですよ。
そういう人でも、一回興味があれば留学に行ってみるのがいいと思います。
留学が自分に合っていれば、新しい世界がグッと広がるし、もし自分に合わなくても、それは長い人生の中でほんのわずかな時間なので。
今は色んな情報があるし、最初は大変かもしれないけど、やっぱり行ってみることによって視野は広がると思います。
最初は講習会などでもいいから、その場の空気を見て直感を信じるのもいいと思います。
何かやりたいなと思っても、計画的にいかない人もいっぱいいるだろうから、とにかく少しでも思いつくところがあったら、一度行ってみると新しい発見があるのではないでしょうか?
袴田:ありがとうございます!
フランスに留学し、働き、子育てをする中で経験してきたことを、地元に還元されている松島さんのお話、いかがだったでしょうか。
自分が実際に体験したことで見えてくる、日本とフランスの特徴やそれぞれの課題。
これから留学をされる皆さんも、自分らしく、両方の国の良さを取り入れた活動を目指してみませんか?